2018年3月1日。
D1ドライバーの野村謙選手が、2018年のシーズンを持って選手を引退されることを表明されました。

BLITZと野村選手の関係は、2000年前後まで遡ります。
D1 GRAND PRIXというドリフトの新競技が立ち上がり、その競技に参戦するためにBLITZがマシンメイクを行い、
そのドライバーとして車両に乗っていただいたのがスタートです。

当時のD1車両はストリートチューンに近いものが多く、FRの軽量スポーツが圧倒的に有利とされる中、
TEAM BLITZは大柄で重量級のER34 スカイラインセダンを選択。

参戦当初は苦戦を強いられましたが、ドリフトにかける情熱で扱いにくい車両も自分のものとし、
4ドアならではの迫力のある角度と白煙を巻き上げるドリフトで、
気付けばドライバー・車両・チームともにトップクラスの人気を誇るようになっていました。

それから15年以上。野村選手のD1にかける思いは今も変わらないと思います。

ラストシーズンも、BLITZは野村選手を応援しています。

ぜひ、これまでのBLITZと野村選手のヒストリーをご覧ください。

BLITZ × KEN NOMURA HISTORY

D1創成期に「TEAM BLITZ」として、当時ドリフトでは珍しかったワークス参戦を開始。
車両は競技としてのドリフトには不利とされた、ER34スカイラインセダン。主に市販パーツで構成された468PS仕様でした。
ボディカラーを現在のBLITZコーポレートカラーにも繋がるパールホワイトへチェンジし、
マシンの仕様も少しづつハードに。一躍D1の人気ドライバー・チームとして多くのファンの支持を集めます。
D1車両を新規製作。4ドアスポーツセダンから完全なる競技車両として変貌を遂げ、
ついにお台場のエキシビションとエビスラウンドでシリーズ初となる優勝を飾ります。
D1 GRAND PRIX・のむけん・TEAM BLITZの人気は国内にとどまらず、海外ラウンドでも毎回歓声の嵐。
ドリフト界の白煙番長として人気を博します。
2006年には、菅生・オートポリスでの2回の優勝。さらにシーズンで2回の準優勝と、シリーズチャンプ争いを繰り広げました。
エアロをURAS TypeGT、ホイールをBLITZ BRW Profile08へ変更し、より戦闘力を増した「BLITZ D1スカイライン」と
野村選手のパッケージが完成形に近づきます。
競技としての「ドリフト」が完成され、テクニックやマシンメイク・パワーだけではなく、「勝つため」のタイヤ性能も重視され始めます。
初戦エビスで優勝、次戦オートポリスで準優勝と、シリーズを牽引するトップドライバーに。
同年よりコンピューターセキュリティブランドの「Norton」がスポンサード。
2010年より80年代に一世を風靡した「なめんなよ」がスポンサーに加わり、オリジナルグッスも販売。
エビス戦において、野村選手自身D1で初となる大クラッシュという悲劇が発生。
昨シーズンのクラッシュの影響で、D1 SKYLINEはサブ車両をリメイクして参戦。
さらにD1競技システムの大幅な変更など、大きな変革期でもありました。
リリースされたばかりのTOYOTA 86へのマシンチェンジを表明。
2JZエンジンへの換装など簡単ではないマシンメイクを続け、シーズン途中から86参戦を有言実行しました。
TEAM URASとして、BLITZ Racing Projectカラー+BLITZ DAMPER ZZ-R & AERO SPEEDを装着した86で参戦。
手探りながらも、参戦10年を超えた節目に、チャレンジングな1年でした。
D1ドライバーとして駆け抜けてきた、18年間。
選手を引退しても、ドリフトという競技がある限り、野村選手は皆様を楽しませてくれることだと思います。
そして、2018年・ラストシーズンもTEAM BLITZは精一杯、野村選手を応援します!

■DRIVER [KEN NOMURA]

野村 謙 / Ken Nomura

1965年5月19日生まれ、福岡県出身。

地元福岡にて、チューニングショップ「URAS」の代表を務める。

BLITZとは、D1 GRAND PRIX創設時からのドライバーとして、当時競技としてのドリフトには不向きと言われた4ドアのER34スカイラインを操り、2006年に初優勝。

豊富なドリフト経験と、そのキャラクターから、実力も人気もトップクラスのドライバー。

URAS WebSite : www.uras.co.jp

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